ハルウララとは
1998年に高知競馬でデビューし、0勝113敗という前例のない戦績で“負け組の星”として国民的人気を得たサラブレッド。2025年9月9日午前2時20分、千葉県御宿町のマーサファームで疝痛により29歳で逝去したことが公表されました。
生い立ち
1996年2月27日、北海道三石町(現・新ひだか町)で信田牧場に生まれた鹿毛の牝馬。父はニッポーテイオー、母はヒロイン。購買者がつかず、牧場の手で調教が進められ、のちに高知へ移籍して競走生活に入ります。
戦績
現役時代は1998年デビューから2004年まで走り、通算成績は113戦0勝・2着5回・3着7回。勝利は叶わなかったものの、連敗を重ねてもゲートに向かう姿が注目を集め、全国的な話題に。2004年には武豊騎手が騎乗した一戦で、観客約1万3千人、発売額1億2175万1200円という地方競馬として異例の盛り上がりを記録しました。
負けても愛された理由
ハルウララは“負けても笑顔で駆ける”象徴でした。応援馬券は「お守り」として財布にしまわれ、結果よりも挑戦をたたえる文化を可視化。やがてその物語は海外メディアでも紹介され、後年はゲーム/アニメ『ウマ娘 プリティーダービー』のキャラクターを通じて若い世代にも広がりました。
引退後の穏やかな日々
引退後は千葉県御宿町のマーサファームで過ごし、支援組織「春うららの会」や引退馬協会のサポート、ファンからの寄付(牧草の差し入れなど)に支えられて余生を送りました。訃報は引退馬協会からも発表され、関係者・ファンの追悼が相次いでいます。
まとめ
ハルウララの物語は、勝敗の尺度だけでは測れない価値を社会に問い直しました。小柄な身体で、負け続けても前を向いて走る——その一歩一歩が、地方競馬を照らし、人の心に「続けること」の尊さを刻みました。引退後も多くの人が草を送り、見舞い、祈り、最後の別れを伝えたこと自体が、彼女が“結果”を超えて“希望”になっていた証です。
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